カトリック小樽教会主任司祭 パク神父

6月のパク神父の言葉

2020年6月21日(年間第12主日)

 皆さん、いつものように、私はひと言だけ皆さんに申し上げます。 様々なことを一度に話していると聞く人の立場ではこんがらがったり、また聞いた後によく忘れたりするからです。

 

今日の朗読と福音のみことばを見ると、次のようです。 

 

私たちが世の中で信仰生活を一生懸命にしていると、意外に多くの困難を経験します。 もちろんここに条件があります。 信仰生活を熱心にした時こそ初めてこの言葉が理解できます。 

 

『神のみことばをよく聞いて、よく実践する人は、世の中できっと試練を経験する』というみことばです。 たとえば、誤解されたり、いじめられたりなど。 今日の第一朗読の預言者エレミヤや第二朗読でイエス・キリストを証しした使徒パウロや福音の中から私たちを慰めてくださったイエス・キリストと使徒たちは世の人々から非難と迫害を受け、さらに殺されてしまいました。

 

私たちも同じです。 信仰生活をしていると、世の中で損害をこうむる場合も多く、濡れ衣を着せられたり、不自由を甘受したりしなければならない場合が非常に多いです。 そのような私たちのために、今日のみことばは、恐れるなと励ましてくださるみことばだと私は思います。 私たちを大切にする父神様が、見えない所で私たちが表わす信仰を喜んでおられるということを、特に、今日の福音のみことばを通して私たちははっきり知ることができます。ですから、皆さん、私たちを支持し、励まし、また私たちが病気の時に慰めてくださり、私たちを治してくださる父神様の愛の力で、今日も一生懸命みことばを聞き、実践するようにしてみませんか? 

 

ブレイクタイム 

「一番大きな罪人でも断罪せずに彼のために祈ってください。」

                    - 教皇フランシスコ -

 

= 彼らに欠点が見えても、彼らが神から遠ざかっていても、彼らのために祈らなければならないという教皇フランシスコのお言葉。

 

2020年6月14日 (キリストの聖体 祭日)

 皆さん、単刀直入に申し上げます。  皆さんがミサの時に迎えるご聖体と御血は、本当にイエス・キリストの体と血だという事実です。 象徴だと思ってはいけません。 本当にイエス・キリストの体と血です。 

 ミサ前に用意された小麦粉パンとぶどう酒がミサの時に司祭によって本当にイエス・キリストの体と血に変化されるのです。 この事実について皆さんははっきり信じますか? 象徴ではなく、本当に変わるという事実を。しかし、過去にこの事実を信じられなかった人々がいました。 それで、実際にご聖体と御血が人間の肉と血に変わった奇跡を、皆さんはご存知ですか? 世界のあちこちでこのようなご聖体奇跡がたくさん起きましたが、代表的にイタリアのランチアーノというところでご聖体と御血が実際人の心臓の肉と血に変わったという奇跡がありました。ご聖体は人の心臓の肉で、御血は人のAB型の血だということです。人々があまり信じられなかったからイエスキリストはこのように実際に現れたのです。

 皆さん、神様はね、私たち人間を愛しすぎて、あなたの本当の肉を、そしてあなたの本当の血を私たちに食べ物として出してくださったのです。私たちを永遠に生きるようにするために。消滅しないようにするために。 あなたご自身を私たちのために供え物として喜んで出してくださったのです。ですから、毎日ミサの時に司祭を通してあなたが毎回犠牲になり、私たちの口の中に入っていらっしゃるのだと言えます。  

 その目的は、我々を愛していますから。 私たちを永遠に生きるようにするために。  私たちの存在が永遠に消えないようにするために。毎回ミサのたびに、司祭を通して私たちに食べ物としていらっしゃると言えます。 だから、人間が永遠に消えないためには、人間が永遠に消滅しないようにするためには、このご聖体と御血を食べなければならないということです。 イエス・キリストのご聖体と御血は永遠の命を与える唯一の食べ物だからです。 永遠に生きるようにしてくれる唯一の糧だという事実です。

 イエス様がくださるこの永遠の命の食べ物は食べても良い、食べなくても良いのではありません。食べなければならない食べ物だということです。したがって、この生命の食べ物を食べさせるために、私たちは他の人々を教会に招待しなければならないということです。 彼らを消えないようにするために、消滅せずに永遠に生きるようにするために、多くの人々を教会に連れて来なければならないということです。コロナ以前から教会に来なかった他の人々を説得してでも、教会に連れてきてゆるしの秘跡を受けるように導き、ご聖体を迎えるように必ず導かなければならないということです。

 

 これから小樽教会も7月からは私一人ではなく、信者の皆さんと共にミサを行います。今までコロナウイルスの影響できちんと生命の糧を迎えることができなかったため、多くの信者の方々がご聖体秘跡を望んでいるでしょう。たとえまだコロナウイルスのため安心できず、主日はグループごとに分けて主日ミサを行うことになりますが、平日のミサも以前のように行われますので、できるだけ週に一回はぜひ教会に出席してご聖体を必ず迎えてほしいです。

 そして今月はイエスのみ心の月です。 今月からでも度々ご聖体を訪問してほしいです。ひたすらご聖体を訪問するために教会に来てほしいです。 教会に来て自分に任された仕事をし、ただ1時間もご聖体の前に座らないで帰れば、教会になぜ来るのですか? 単純に仕事するために教会に来るんですか。 教会は皆さんの職場ですか。 少なくとも1時間は、聖櫃の中にいらっしゃるご聖体の前に座っていて帰ってほしいです。教会で私がすべき仕事があれば来て、逆に教会で私がすべき仕事がないと来ない今の習慣を変えてほしいですが。最後に一言だけ申し上げます。 聖櫃の中に一人でいらっしゃるイエス様を寂しく放っておかないでください。

 

 2020年6月7日(三位一体の主日)

  父神様は、この世の人々を救うために子イエス·キリストを送ってくださったし、また今日までもそしてこれからも永遠に私たちを救うために聖霊をずっと私たちに送ってくださっておられるにもかかわらず、この神の愛を疑って、「神はどこにいるのか?」と信じない人がたくさんいます。イエス·キリストは彼らに向けて「既に裁かれている」と、今日の福音のみことばからはっきりおっしゃいました。

 彼らが裁かれた理由は、神の子イエス·キリストの名前を信じなかったからだと、はっきり私たちにおっしゃいました。 この国、日本の場合も同じです。 ほぼイエス·キリストの名前を信じないで、あの方のみことばに従わない人々がほとんどのこの国、日本がそうだという意味です。

 これに対して皆さんは心配と嘆きばかりするのではなく、今日、第一朗読からお聞きになったように、モーセのように民のために神様に絶えず仲裁の祈りを毎日捧げなければなりません。 このようにです。「主よ、もし御好意を示してくださいますならば、主よ、わたしたちの中にあって進んでください。確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください」と。 

 そして一回洗礼を受けてキリスト者になった者は、今日第2朗読にあるように生きなければなりません。「いつも喜び、毎日完全な者になり、励まし合い、思いを一つにし、平和を保たなければなりません」。

 このように生きることが、まさにキリスト者らしい生き方だと私は思いますが、皆さんはいかがでしょうか。

  最後に一つお願いします。今月は我々人間に傷ついたイエスのみ心を慰めてあげるイエスのみ心の月です。 マタイによる福音書2640節から、「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか」というみことばのように、たった1時間だけでも時間を作って教会に来て、聖櫃の中に一人でいらっしゃるイエス様と一緒にいるようにしましょう。 1時間です。 ちょっと来て座って行くのではなく、1時間聖櫃の前に座って行くことです。そしてお願いがあるのですが、どうか教会に自分に任された仕事だけをしに教会に来ないでほしいです。任された教会の仕事が終わったら、必ず一時間、聖櫃の前に座って、一時間祈りが終わったら家に帰ればとてもいいと思います。

6月19日(金)「イエスのみこころ」祭日

 *富岡聖堂は「イエスのみこころ」に捧げられた聖堂です。

6月20日(土)「聖母のみこころ」記念日

 *住ノ江聖堂は「聖母のみこころ」に捧げられた聖堂です。

 

5月のパク神父様の言葉

2020年5月31日 <聖霊降臨の主日> 

 ついに約束された弁護者を送ってくださいました。 昇天する前に、神の子イエス·キリストが必ず弁護者を送ってくれるとおっしゃいましたが、今日その約束を叶えてくださったのです。 私たちはその弁護者を聖霊と呼びます。 神様が時間と空間を越えてまた再び私たち人間たちと一緒にいらっしゃるために聖霊としていらっしゃったのです。もう神様はあなたがいたいところならどこでもいらっしゃることができるようになりました。 「風は思いのままに吹く」(ヨハネ。3,8)と福音書からイエス様ははっきりおっしゃいましたよね。 そのみことばがはじめて成し遂げたのです。 

 

 ところで、いつ、どうやって聖霊が私たちに来られますか。それは今日の典礼のみことばに正解があります。 まさに信者たちが一つになって祈る時です。 一つになって祈る時、聖霊は来られて集まった人々に勇気と慰めを許します。 弟子たちはマリア様と共に祈る時に聖霊を迎え、それによって恐れが消えるようになり、ドアを開けて外に出て主イエス·キリストが私たちの中に生きておられるという事実を伝えることができたのです。  私たちもできます。 たとえ今はコロナウイルスの影響で一緒に集まることはできませんが、私たちは霊的に祈りの中でお互いのために祈ることができます。 マリア様と共に祈るロザリオの祈りを捧げ、聖霊が私に来られるよう祈ることができます。 例えば、私は最近よくロザリオを手に持って町を散歩しながらロザリオの祈りを捧げたりします. このように聖霊がいらっしゃると堂々と私たちがよく祈る姿を世の中の人々に見せることができます。 これは自然に福音宣教の一つの姿とも見られます。 そうではないでしょうか。マリア様と一緒に祈りましょう、皆さん。そしていつか信者兄弟姉妹と一緒にするミサを望みながら、私たち皆、一緒に祈りませんか? 実は、私たちの信仰生活の中心はご聖体の秘跡、つまり、ミサを通して来られるイエス·キリストの御体と御血を受け、迎えることだからです。 その前に、まず我々の罪を悔い改め、告白する「告解」(ゆるしの秘跡)から受けるようにしてみませんか。 聖霊が来ることができるようにするには、私たちが先に悔い改め、罪を告白してゆるしてもらうことです。 そして、絶えず、よくマリア様と一緒に祈れば、私たちは私たちが望む聖霊を私たちの中に迎えることができるのです。

 

 

<ちょっとブレイクタイム>

(ちなみに) 上手に老けるための7つの秘訣

  気難しい老人になるな。

 1) Stop and Go! 止まりと進むこと、祈りと活動を適切に並行しよう!

 2) 「ここいたい! あの痛い!」という言葉口にするな!

 3) 時間が多いからよく洗ってよく着よう!

 4) 「私の時代はね」という言葉絶対禁止!

 5) 最高の顔マッサージ、よく笑おう!

 6) ひまさえあればユーモア感覚を発揮する。 しかしあまりオーバーはやめよう!

2020年5月24日 (主の昇天)

 

 神様と同じ神の子が世の中のすべての仕事を終え、元々いらっしゃったところへ行かれました。 離れながらおっしゃったみことば、覚えていますか? 「世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。 神の子、神様と同じイエスが弟子たちのそばを離れながら、「いつも弟子たちと共にいる」とおっしゃいました。 このみことばはどういう意味でしょうか? 皆さんはご存知ですか?

 皆さん、簡単に申し上げます。イエス·キリストがこのようにおっしゃったのは、ただあの方が2000年前に生きた弟子たちだけの神様ではなく、時間と空間を越えて、あなたに仕えるすべての人々の神様になることを決心したという意味です。 それでイエスは霊として再び弟子たちにいらっしゃるために肉体と一緒に元々いらっしゃったところに行かれたのです。あの方に仕えるすべての人たちと共に永遠に生きるためにね。イエスは約束を必ず守っている方ですから。

 もう私たちがすべきことは、霊として来られる神様(イエス)を再び迎えるために、私たちの人生の中であの方がとどまる空間を作ることです。絶えず祈ることがその空間を作ります。 十二の使徒たちが再び来られる神様(イエス)を迎えるために、マリア様と一緒に集まって祈ったように、私たちも再び来られる神様(イエス)を迎えるために祈りに専念してみませんか? できるだけマリア様と共に行うロザリオの祈りを捧げながら、あの方がまたいらっしゃるように心の準備を頑張ってみましょう。

 一緒に集まって祈れば本当にいいのですが、最近は状況が状況なので、それぞれの家でマリア様と一緒に祈りを捧げるロザリオの祈りをそれぞれ祈ってみたらどうかと思いますが、皆さんはいかがでしょうか。

 

2020年5月17日(復活節第6主日)

 

今日の朗読と福音のみことばは非常に簡単です。 難しい内容が一つもありません。 イエス様を愛する人はイエス様が命令した掟を実践する人です。 イエス様が命令した掟が何かは皆さんよくご存知でしょう。 はい、それは「互いに愛し合うこと」です。  ですから、例えば、相手を愛さず不満に思う人は、イエス様を愛さない人だと言えます。 つまり、このように相手を心から尊重しない人の心の中には弁護者である聖霊がいらっしゃいません。 いや、おられることができません。 誰かを心から尊重しないのにどうして神の霊が宿ることができますか。 しかし、私たちはこのような人々を憐れみ、彼らの心の中に再び神様の霊が来られるように祈らなければなりません。 そして他の人々を不満に思う人々を教会に連れて来てください。 そして、彼らが再び聖霊を自分の中に迎えることができるように導いてください。 司祭の按手を受けるように導いてください。 ああ、最近はコロナウイルスの影響で按手の代わりに十字架の祝福を差し上げますが。^_^ そして、連れてきたご本人も祝福を受けられるようにしてください。 それで、互いの心の中に聖霊が宿ることができるようにお互いに配慮してくればとてもいいと思います。 このように互いを配慮してくれるのがイエス様がおっしゃった掟の実践のではないかと思いますが、皆さんはいかがでしょうか。今日福音からイエス様がおっしゃった「弁護者」の言葉の意味は

「誰かを助けるために呼ばれた人」という意味です。 まさに皆さんが周囲の人々を助けるために呼ばれたという意味です。 

 いかがですか? 今日の朗読と福音のみことば、簡単でしょ?

 

 

復活節第5主日(5月10日)

 

コロナウイルスの影響で信者たちと一緒に聖堂でするミサではなく、司祭一人でするミサで変わった最近、私の日常生活に変化が起きたような気がします。 コロナウイルスの以前は、私の生活の中心は活動、または休息だった反面、最近の私の生活の大半を占めるのは、他でもなく神、すなわち、祈りです。 私は朝に目覚めると、「教会の祈り」で一日が始まります。 そして続いて朝ごはんを食べ、続いて11時に一人でミサをし、12時に昼の祈りを捧げて昼のごはん、午後のスケジュールは日本語の勉強を兼ねた聖書読み、続いて夕方の祈りと夕食、そして散歩を兼ねたロザリオの祈り、そして寝る前の祈りをして、寝る前の準備をします。考えて見れば今まで当然すべきだった一日のスケジュールだったのが、私の怠りのため、今まで疎かにしていたものを、今回のコロナウイルスのために再び回復することができたのです。 このように私は毎日祈りをするために人生を生きるように、生活パターンが変わってきているのです。 神様はコロナウイルスを通して、今まで断絶していた神と私との関係をこのように毎日連結させてくださっているような気がします。 今日第一朗読から、「わたしたちが神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない」(使徒言行録6、2)とおっしゃったことを聞きました。 私にはこのみことばがこのように聞こえるようです。 「わたしたちが神の言葉をないがしろにして、世の仕事をするのは好ましくない。」 初代教会の助祭たちが按手を受けた後、祈りと御言葉の奉仕に専念したように、(使徒言行録6、4)わがキリスト信者たちも祈りと神のみことばが自分の生活のすべてを占めるようにしたらどうかと思いますが、皆さんはいかがですか

 実は人の人生にとって重要なのは、パンではなく神のみことばですから。「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイによる福音書4、4)。 # 説教ではないが、一つだけ必ず申し上げたいです。コロナウイルスの影響で「ミサ中止」という言葉を使っていますが、実はミサが中止になったことはありません。 一度もミサが中止になったことはありません。 ミサは教区司祭たちと修道院司祭たちがそれぞれ一人であるいは修道院の共同で奉献しているので「ミサ中止」という表現は適切ではないと思います。 信者たちとともにする形式から司祭一人でする形式で変わったことであり、決してミサは中止されたことはないということです。 私は最近も皆さんのために一人でミサを捧げていますし、また皆さんも霊的に私と一緒にミサに一緒にしているのではないでしょうか。それともYouTube放送ミサを通してでも 一緒にしているではないですか? 私が申し上げたいことは、ミサは決して中止されたことは一度もないということです。結論は「ミサ中止」という表現の代りに、「司祭一人で捧げるミサ」で変えてみれば、いかがですか。