広報誌ぶどうの木 巻頭言

         主任司祭 佐藤謙一神父

2024年 4月号

 「初心を思い出して」

  2月20日から札幌教区神学生のレ・シュアン・ビンさんと一緒に生活を始めて一か月が過 ぎた。2月26日に助祭・司祭候補者に認定されて晴れて正式な札幌教区の神学生となった ばかりである。2024年度の1年間は神学校を休学し、札幌で日本語を学びなおす1年となる。 日常生活の中での意思の疎通は可能だが、司祭となって人々に神のことばを伝えるには概 念と言葉がまだ足りないのではないかと神学生養成担当をはじめ司教が判断したからであ る。この1年をしっかりと過ごすことによって将来の司祭職のために必要な大切なものを得る ことができると信じている。皆さんもビンさんのためにお祈りください。

 

 さて、わたしと一緒に生活をしているので朝の祈りと晩の祈り、そして朝食と夕食は一緒に 行うことにしている。これはわたしにとっても新鮮なものとなっている。聖職者は「教会の祈り」 を特別に委託されており、信者が出席していないときでも、単独で「教会の祈り」を唱えなけ ればならない。修道者とは違い、教区司祭には「教会の祈り」を共同で唱える義務はない。 しかしできるだけ共同で唱えることも勧められている。司教館事務局長だったときには毎朝、 朝の祈りとミサを行っていたが、小教区に住むようになり共同で祈ることはなくなっていた。

 今は神学生だったときのことを思い起こし、ビン神学生と一緒に「教会の祈り」を唱えている。

 「教会の祈り」は生活を規則正しくし、ミサで与った聖体の秘跡を生活のさまざまな時間に行 き渡らせるために必要なものであると教皇パウロ6世は言っている。 ところで『教会の祈りの総則』がカトリック中央協議会より昨年6月に発行された。今までは 「教会の祈り」の本の初めにとても小さな文字で総則が載っていたが、このたび別刷りとして より大きな文字で読むことができるようになっている。「教会の祈り」を唱えるためにも他の祈 りを唱えるためにも、まず『教会の祈りの総則』から学び、それぞれの祈りにつなげていくこと を勧めたい。皆さんが祈りを深めるためにも参考になるものだと思う。

 

  日本カトリック典礼委員会編『教会の祈りの総則』カトリック中央協議会、p.7、使徒憲章「ラウ ディス・カンティクム」参照、2023年。 2024年4月1日発行カトリック小樽教会広報誌No.111 2024年 1 2024年4月1日発行 

2024年 3月号

    復活徹夜祭を含む「聖なる過越の3日間」は、主の受難と死と復活を一連のものとして祝 う典礼である。これは主日に行っていることを、3日に渡ってイエスの「聖体の制定」、「受 難」、「死」、「復活」を時間経過に従って再現し記念するものである。それによって、イエス の死の意味は何だったのかということを毎年振り返ることができるのである。

 中世の教会は、主の受難と死が地上における宣教の終わりであり、復活は地上とは異 なった天上におけるイエスの新しいいのちの始まりであると考えて二分して典礼を行って いた。しかし、1955年聖ピオ12世教皇が、今まで午後にミサが禁じられていたものを刷新し、 まず復活徹夜祭という夜のミサを復活させた。第2バチカン公会議後の1970年に古代教会 の伝統を復興し、イエスの受難と死が復活とは切り離すことができない連続した出来事とし て、聖なる過越の3日間が制定されたのである。

 復活徹夜祭は、闇から光へ、主の死から主の日への移行を記念する年間の典礼の頂点 である。復活徹夜祭は夜(聖土曜日の日没後から主日の明け方の前まで)に行われること になっている。これは、神がイスラエルの民をエジプトから脱出させるために徹夜されたとい う出エジプト記12章42節の記述に基づき、神の働きによって、イエスが死から復活の命へ 過越された神秘を祝うための祭儀である。この復活徹夜祭を通してキリスト信者は主の復 活を祝いながら、同時にこの新しい過越が自分たちの上に実現する「終わりの日」(=主の 再臨の日)を、目覚めて待つように促される。

『病人は一度よくなってもいつかはまた病気になって、最後には必ず死にます。しかし、 イエス様に対する信仰によって与えられる霊的な生命は永遠に生きるのです。』これは聖 アウグスティヌスの言葉である。イエスとともに生きることの頂点としての復活を復活徹夜祭 では味わうことができるのである。 

2024年 2月号

四旬節が始まる」

 四旬節は復活の主日によって開始日が変動する。今年は2月14日の灰の水曜日から始まり3月 28日の主の晩餐の夕べのミサ直前までの44日間である。復活の主日は「春分の日」の後の最初 の「満月」の次の「日曜日」と決まっている。したがって、もっとも早い灰の水曜日は2月5日になる こともあり、もっとも遅い場合は3月11日になる。2月に四旬節に入らない年も3年に一回くらいは ある。

 四旬節の意義は、第一に復活祭に向けた準備である。第二に洗礼志願者の準備である。第三 に信者がすでに受けた洗礼の恵みを新たにする期間である。洗礼志願者がいなくても他の共同 体の志願者のために祈りをささげ、また、信者の洗礼の恵みを思い起こし回心に招く期間でもあ る。  この期間にはいろいろなしるしがある。まず灰の水曜日では灰の祝福と灰をかける式がある。司 祭は灰を振りかけながら「回心して福音を信じなさい」と回心を勧める。目と耳と口に示されるしる しとしては、控えめに祭壇を花で飾ることや、オルガンや他の楽器が歌を支えるためだけに用い られることや、アレルヤと唱えないことや、沈黙を重んじることなどである。このようなしるしによって 四旬節が回心の季節であることをわたしたちに思い起こさせるのである。 四旬節の信心業としては「十字架の道行き」という祈りがある。イエスが十字架につけられた主の 受難が金曜日であることから、特に四旬節中の金曜日に共同で祈ることが多い。イエス・キリスト の受難を心に呼び起こし、信者の黙想に役立てるものである。これから始まる四旬節では特に祈 りと黙想を大切にして行こう。 

2024年 1月号

 神学生の1月の思い出」

 

  わたしが神学生だったとき、毎年12月の終わりには冬休みとなり札幌教区に戻って来ていた。冬休みはとても大切な時である。帰って来てから降誕祭をどこかの教会のミサにあずかり、教会の皆さんと交流を持つのも大切だが、本当に大切なのは次の日である。毎年12月26日に神学生養成担当の司祭団と面 接し、その評価をもって司教と面接し、次の年度に進学するか、休学するか、やめるかを決断するからである。 進学する、あるいは卒業して司祭叙階するのであれば問題はない。また、ある意味やめるのも問題はない。すぐに切り替えて次の道を考えればいいからだ。問題は休学する場合である。休学とは神学校での 学びを休んで、教区で学びと養成を行うことを意味する。司教としては神学校に行ってもらって順調に成 長してもらうのが、一番心が休まることであろう。しかし教区の中にいてもがき苦しみながら学び養成してもらうことになるのは、本人が一番苦しいであろうし、周りで見ている司祭団や司教も何とかしてあげたいと思うことばかりで、とても苦しいものなのである。 わたしは冬休みを迎えて札幌に帰ったときにこの面接が嫌なものであったことを覚えている。この短い 冬休み期間の前半は、本来はクリスマスの喜びに満たされているはずであるが面接のことがあり気持ち が沈むことになっていた。しかし、わたしの場合は毎年進学することができたので年末から1月にかけて は晴れやかな気持ちで新年を迎えることができていた。司祭叙階され、わたしは今も召命の道を歩むことができていることに感謝している。 これまでに司祭に叙階された者も途中で去っていった者もそれぞれの心の葛藤の中で年末年始を過ごしていたのである。今はそういう季節である。わたしたちには計り知れないことかもしれないが、皆さんは祈りと犠牲によって神学生を支えて行くことができるのである。 

2023年 12月号

  司祭養成について皆さんに知ってもらいたいこと

 

  それぞれの小教区は司教から権限を預かった主任司祭が司牧していく。主任司祭だけではなくす べての司祭に与えられている権限は、洗礼を授けること、カトリック以外のキリスト者を受け入れること、 主日と守るべき祝祭日に3回ミサを行うこと、主の晩餐のミサを2回行うこと、教区全域でゆるしの秘跡を 授けること、物や場所の祝福、などである。主任司祭のみに委任される権限は主に結婚に関すること のみである。婚姻障害の免除が主任司祭には任せられているということである。信徒の必要となる秘 跡や司牧的な配慮は主任司祭だけに任せられるものではないので、すべての司祭に行ってもらった 秘跡や司牧的配慮は有効である。ただし、それらの小教区の活動は主任司祭が知らずに行われるこ とがないようにしてもらいたいものである。 このような司祭の養成に当たって『一粒会』という制度が札幌教区にはある。一粒会では司祭になる ための養成と司祭となったあとの養成のために皆さんの献金を募っている。司祭になるための養成と は神学生を生み出し、祈りと教育を通じて司祭としてふさわしいものとなって行くよう支えることである。 司祭となったあとの養成とは教区内の養成のための研修や日本全国の司祭叙階後の養成のプログラ ムに参加することなどがある。 特に大切なことは司祭を目指す青年を見いだし、見極め、司祭候補者として神学生に推薦することで ある。皆さんの周りにいる青年の召命を見いだしていただきたいと思う。

2023年 11月号

貧しい人のための世界祈願日 

 

   11月をカトリック教会は「死者の月」としている。亡くなったわたしたちの先祖や仲間たちを思い起こして祈る月である。年間の典礼周期を考えたときに11月が「死者の月」と定められているのは納得いくことである。12月の待降節から始まり、降誕節、年間、四旬節、復活節、年間とめぐる中で、11月は年間の最後にあたり、また、終末を意識させる典礼となるからである。キリストの再臨を待ち望む中で、最後の審判を思い起こすときでもある。最後の年間の主日は「王であるキリスト」の祭日であり、最後の審判のときのキリストの来臨を思い起こすのである。

 「王であるキリスト」の前の週の年間第33主日を「貧しい人のための世界祈願日」とするよう教皇フランシスコは2017年に定めた。教皇は次のように呼びかけている。「この祈願日は、使い捨てと浪費の文化を否定し、出会いの文化を受け入れるようキリスト者を励ますことを第一の目的としていますが、それと同時に、兄弟愛の具体的な表れであるあらゆる連帯活動を通して、貧しい人と分かち合うよう、宗教の別にかかわりなくすべての人を招いています。」  わたしたちはすでに貧しい人のために具体的な取り組みをいくつか行っている。確かにそれらの取り組みは、貧しさの原因となっている不正義に対する認識を高めるために有意義なものであるだろう。しかし、その具体的な取り組みは、貧しい人との本当の出会いや分かち合いを生きるように、わたしたちを導くものでなければならないと教皇は言う。

 最後の審判のときに「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた」(マタイ25.35-36)と王であるキリストに言われたいものである。そのためにはまず、貧しい人との出会いや分かち合いを通してともに生きることができるかどうかを考えてみよう。

 

2023年 10月号

年の黙想の結果 

 

9月には教区司祭の年の黙想のためにトラピスト修道院で過ごす期間が設けられている。年の黙想は心も体も神の前で整えてまた新たに神のもとで生活をする力を得るものである。今年は911日から16日までの6日間であった。今年は司祭と司教の参加が12名であった。さらにトラピストの修道士は10名であったのでとても寂しくなったものだと感じた。

この6日間はとても濃密な6日間ではあるのだが、今年は少し物足りなさも感じている。それは結局、日々の日課に追われているように感じるからである。祈りの時間、食事の時間、分かち合いの時間、睡眠の時間。それぞれ生きて行く上で大切なことであるが、それ以上に大切な時間があるのではないかと感じるのである。

何が必要かと考えたときに、自分には何もしない時間が必要なのではないかと思っている。何もしないというのは時間に縛られず何も考えず過ごす時間である。そんな時間は無理なのかもしれないが、黙想の本来の意味はそういうことであろう。何もしない時間の中にこそ自分自身の振り返りができるのではないだろうか。

 

先月の巻頭言で、黙想会のやり方としていくつかの方法があると言った。一つのテーマや理念に絞って追求し一つのものに昇華していくやり方と、もう一つは子どものころのことを思い起こし、心に浮かんだことを記録して黙想を深めていく方法である。結局今回の年の黙想ではどちらもできなかったように思う。いつも黙想会を楽しみにして行くのだが期待通りにいかないのが黙想会であるのだ。そうであるからこそ次回はもっと良くしようという気持ちになるのだろう。

2023年 9月号

「年の黙想」

 

 

   9月には毎年、司祭の「年の黙想」が行われる。黙想にはいくつかの方法がある。一つのテーマや理念に絞って追求し一つのものにしていくやり方、あるいは祈りや読書によって心に浮かんだ考えを出していくやり方などである。2つ目の方法の例を挙げてみよう。

わたしたちはたびたび少年時代の思い出を思い起こすことがある。その思い出は小さな庭で遊びまわっている姿だったり、部屋で横になって窓から見える雲をただ眺めているだけだったり、祖父母の家に行って食事を待っていたりすることだったりする。少年時代は新鮮であり、少年にとって世界は日々常に新しいものである。少年にとって過去はなく、また少年は未来をも理解していない。少年は永遠の新しさのうちに生活しているのである。少年のうちには罪の古傷がない。皿やコップを割っても父母にあやまれば赦してもらえるという喜びを知っている。

 

  少年イエスは両親とともにナザレで二人に仕えて暮らしていた。大人になったイエスは荒れ野での悪魔の試みののちガリラヤ地方の会堂で人々に教えていた。同じ地方にある幼少のころ住んでいたナザレに帰ったとき、少年時代のことを思い起こしたことであろう。道行くろば、ラクダの隊商、走り回る子どもたちの姿、職人たちの住む路地、頭に水がめを乗せて井戸へ行き来する婦人たちなどを見て何を思ったであろうか。イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」(ルカ1816みなさんも子どものころのことを思い起こし、心に浮かんだことを書き出してみるということをしてみてはいかがだろうか。

 2023年 8月号

教会活動再始動  

 

  7月から教会活動が活発になってきました。特に青少年の活動が活発です。全世界的にはワールドユースデーがポルトガルで開催されています。日本の巡礼団は725日から810日まで現地に滞在し、本大会だけでなくコインブラ教区の日々を過ごし、ファチマをはじめ巡礼地をめぐります。

 

  教区レベルでは高校生のタイボランティアが725日から84日まで開催されていて12名の高校生がミャンマーとの国境にあるラ・サール会の学校で現地の子どもたちと触れ合い国境の問題や人々の抱える課題を体験しています。

 

 

 また、812日から13日には全道カトリック青年大会が開催され、日本人の青年だけでなくベトナムやフィリピンなどからきている青年がともに集い、祈りと分かち合いの中で親交を深めています。

  さらに中高生の夏キャンプが87日から9日に留萌で開催されます。札幌地区では811日に札幌地区教会学校デイキャンプが開催されます。

 

   コロナ禍が過ぎ教会活動もできるようになってきました。この活動が青少年の活動から活発になってきているところに大きな希望を感じます。これに続き小樽教会では新しく発足した「みこころ部」をはじめ信徒の皆さんの活動が活発になることを期待しています。

 

 

 2023年 7月号

イエス宣教の救いの教え   

 

 7月は北海道の短い夏の中でも貴重な時期に当たるのではないでしょうか。学生にとっては4月から始まった新学年で1学期の集大成、夏休み前の準備の時期といえるでしょう。 

社会人1年生にとっては仕事にも慣れて、生活にも余裕が出てくる頃でしょう。北海道では冬に向けて夏の間にいろいろな準備が必要となります。

 

 復活節は528日の聖霊降臨の主日で終わりましたが、6月に入り最も多くの「祭日」の月を過ごしました。「三位一体の主日」、「キリストの聖体」、「イエスのみ心」、「洗礼者聖ヨハネの誕生」、「聖ペトロ聖パウロ使徒」の5つの「祭日」です。この6月が過ぎると11月まで「聖母の被昇天」以外祭日がなくなります。長い年間の季節が続き、福音書の中のイエスの宣教を通して救いの歴史とキリストの神秘を味わい、信仰生活を深めていくことができると思います。7月はわたしたちの信仰の歩みを振り返るのに適しているのではないでしょうか。

2023年 6月号

「札幌地区の将来に向けた検討について」が発表されました

 

 20218月に札幌地区宣教司牧評議会担当司祭(佐藤謙一地区長)より、教区全体を見据えながら札幌地区の将来についての検討課題が提示されました。評議会ではこれを討議するため諮問委員会を設置することとし、諮問委員会が設置されました。司教からの諮問内容は以下の通りです。

・財政問題を背景にした実効性のある教区再編計画の策定

5年以内に実行可能な答申を20233月迄に提出

・将来の司祭数から教会と司祭配置を実践的に検討

・小手先の改革ではなく大胆な発想で提案を

 そして、20233月にそれに対する答申が提出されました。これを受け、司教は札幌地区宣教司牧評議会で、これについて検討するよう指示しました。答申内容は次頁以下の通りです。内容が小教区の再編や信徒の養成に関することで、信仰生活に直接かかわる問題です。一部の司祭、信徒だけではなく、今まさに進行中のシノドスのステップを用いて、すべての信徒が各小教区の現場で意見を交換し、分かち合いを通してより現実的なプランを作り上げていきましょう。

 以下、答申から再編案と再編ステップを抜粋します。小樽教会の将来についても併せて考えていきましょう。

再編案

・拡大札幌地区内(札幌+苫小牧)内25小教区の6エリア11ブロック区分

・各エリアに中核となる小教区の設定による福音宣教の「拠点教会」設置

・拠点教会以外小教区の「巡回教会、集会所」移行

・拡大札幌地区内の小教区数を78ヵ所に集約

・物理的要因(財政面、信者数等)により建物維持が困難な場合の撤退

再編ステップ

1stステップ1年目~2年目 司祭数:12(内協力司祭:8

「ハード面(組織、仕組等)」

・小教区評議会への移行と小教区規約統一の発信・主任司祭の義務、権限を体現する組織への移行

・小教区規約統一の準備

・小教区規約統一時の要点は、中核規約の統一と小教区独自性担保

・各種養成及び行事(入門講座、聖書、葬儀、堅信式等)のエリアorブロック集中化

・地区内全小教区の財政事情収集

「ソフト面(精神、心等)」

・小教区共同体活性化のための対話(司祭と信徒、指導的信徒と一般信徒)の定着

・主日に司祭は1小教区だけ1回のミサとし、ミサ後は小教区信徒との交わり

・特に小教区の周縁部にいる信徒との対話を重視

・この間、多くの小教区での主日ミサは1~2回/

(主日ミサが無い小教区民はエリア内の他小教区ミサに参加可)

・エリアorブロック内信徒の共同主体による各種養成及び行事の集約と展開

2ndステップ2年目~4年目 司祭数:8(内協力司祭:5)

「ハード面(組織、仕組等)」

・小教区評議会への移行と中核規約統一(78割約20教会で移行と統一)

・合同ミサ、合同評議会の始動と各種委員会の共働化

・葬儀、結婚式、堅信式、病者塗油、入門コース等の集中化

・地区財政委員会の再生(刷新)と収集した財政情報の活用

・地区財政計画の策定

「ソフト面(精神、心等)」

・小教区内対話の信徒主体移行とミサ頻度

・活性化のための対話を信徒主体に移行

・信徒主体移行に伴い、司祭の主日ミサの複数小教区ミサを徐々に行う。

「福音宣教の拠点」

・福音宣教のための拠点教会、巡回教会、集会所の選定

・信徒によるエリア内共同宣教養成環境の整備

3rdステップ3年目~5年目 司祭数:6(内協力司祭:3)

「ハード面(組織、仕組等)」

・小教区評議会への移行と中核規約統一(全小教区で移行と統一)

・エリア or ブロックの統一評議会、各種委員会の検討及び組成

・財政逼迫小教区への財政的指導と支援(分担金の地区内傾斜配分、等)

「ソフト面(精神、心等)」

・信徒の主体的な連携・連帯への移行とミサ頻度

・拠点教会、巡回教会、集会所の枠を超えた連携・連帯

・信徒主体による共同体活性化の継続

 ・小教区数減少により、ミサの無い主日数は減少する。 

 

 

2023年 5月号

「聖母の月と聖ベルナルディノ」

 

 5月は『聖母の月』と呼ばれています。しかし、聖マリアの祝祭日が多くあるわけではありません。531日の『聖母の訪問』の祝日や2018年から新たに加えられた『教会の母聖マリア』の記念日がある程度です。祝祭日は少ないけれども『聖母の月』と呼ばれているのは教会が5月を聖母マリアにささげているからです。

 5月の聖人で特に聖母マリアを崇敬したのは聖ベルナルディノです。父と母を幼少のころに失い、信心深かった伯母の家で育てられ愛情深い子どもとして成長していきました。シエナ市には美しい聖母像が飾ってあり、暇さえあればそこで祈りや黙想をしていました。それほど聖母マリアを敬っていたのです。22歳のときにはフランシスコ会に入会しました。聖母マリアを崇敬するあまり長上の許可を得て、着衣式、誓願式そして司祭叙階後の初ミサを『聖マリアの誕生』の祝日(98日)に行うほどでした。聖ベルナルディノ(シエナ)司祭の記念日(任意)は520日に祝われます。

 

 特に5月の間、わたしたちも聖母マリアと聖ベルナルディノの取次ぎを願い祈りをささげましょう。

2023年 4月号

410日から変わること」

 

 

 2023217日に41日付で司祭の人事異動が発表されました。わたしが主任として働くところが小樽・倶知安・手稲・円山だったところに山鼻教会が加わりました。また、新海神父だけでなく後藤神父が協力司祭として加わりました。4つの教会を2人でやるより、5つの教会を3人でやることによってミサが増えて集会祭儀が減るように感じるかもしれません。しかし、そうはなりません。その理由の1つ目は今まで主日のミサは午後も行っていましたが午前10時だけにすること。2つ目は一日に複数の教会のミサをしていましたが一つの教会だけでミサをすること。3つ目は5つの小教区の移動距離が長く時間がかかり協力司祭の負担が大きいので後藤神父は札幌市内だけ、新海神父は倶知安・円山・山鼻を2か月に1回のミサ、小樽・手稲を月1回以上のミサとすること。わたしは今後日曜日のミサのときにはミサ後しばらく教会に滞在することができます。必要があれば声をかけてください。また平日もできるだけ要望に応えていきたいと思います。

 

2023年 3月号

「日本の信徒発見の聖母」

 

  四旬節の期間は「記念日」はすべて「任意」となり特別なことがなければお祝いすることがありません。特に日本では聖ヨセフの祭日と神のお告げの祭日、そして「日本の信徒発見の聖母」の祝日のみを祝います。この「日本の信徒発見の聖母」の祝日は2014年までは「長崎の信徒発見記念日」としてお祝いしていましたが、信徒発見から150年たった2015年からは教皇庁により正式に許可された「日本の信徒発見の聖母」の祝日として祝われています。

  1614年の徳川幕府の大追放令によって宣教師や有力な信徒が海外追放され、残った信者は拷問にかけられ棄教を迫られました。まったく司牧者がいない状態になったのです。しかし、それから250年たった1865年に長崎に大浦天主堂が建てられると婦人たちが現れ「ここにおります私どもはみなあなたと同じ心でございます。」「サンタ・マリアのご像はどこにございますか」とたずねてきたのです。250年もの間信仰を守り子孫に伝えていったことに全世界が驚き、そして感動したのでした。人間の努力だけではない神の力を感じます。聖母の導きにより日本の信徒が発見されたことをわたしたちも誇りとして信仰を新たにいたしましょう。